0625 ずっとばななが読めなかった
こんばんは、切実です。ブックオフでよしもとばななの本をたくさん買いました。
わたしにとって、よしもとばななは「好きになるとは思わなかった作家」のひとりです。そう、わたしは過去に何度か彼女の作品に挑戦しては、ばななワールドにハマれずに挫折してきたのです。きょうのレターでは、そんなわたしとばななの10年に渡る確執のはなしをします。
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よしもとばななを好きにならないで
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もう読んでいられない
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わたしはばななが分からない
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『キッチン』との再会
1.よしもとばななを好きにならないで
名前はずっと前から知っていたよしもとばななですが、わたしの生活に入り込んできたのは2011年(高2)でした。中学からの友人がよしもとばななにハマりました。彼女とは同じ部活に入っていて仲良くなったのですが、同じものを好きになるくせにハマってるポイントがちょっとずつ違うせいでギクシャクすることが多く、すごく仲がいい時期とまったく関わらない時期が順繰りにめぐる中学3年間を過ごしました。別の高校に進学したことでいい感じの距離感になり、月に一度くらいのペースで遊ぶくらいになっていました。
彼女はわたしのピッタリ上位互換というかんじでした。手の届かない差ではなく、外見も学力も運動神経も要領の良さも、ちょっとずつわたしのほうが劣っていました。彼女自身や周りはそんなことを思っていなかったかもしれないけど、そのことがわたしはコンプレックスでした。
わたしが彼女より”優れている”と思っていたのが、カルチャー感度の高さでした。その中でもとりわけ「本」については、わたしのほうが知っているし読んでいるという自負があり、その気持ちがあったからわたしは彼女を友達として対等だと思えていたような気がします。
ただ、彼女もまったく読書をしない人というわけではなく、一緒に本屋に行ったりわたしの部屋から本を借りたりすることもありました。そんな彼女がある日、かなりの熱量をもって教えてくれたのが『キッチン』でした。もちろん知っていたのですがいつか読めばいいかと思っていたので、教えてもらったときは「へえ~そんなによかったんだ」くらいしか思っていませんでした。しかし、彼女はそのあとすごい勢いでよしもとばななにのめり込み、ブログの文体や思想が「そういう感じ」になっていきました。
彼女は、わたしがばななを読むことを恐れだしました。それは、「わたしが先に好きになったから取られたくない」という思いからくるものでした。いつも同じものを好きになっては、ちょっとしたズレが許せなかったふたりの関係からすれば当然の反応です。わたしは「言われなくても読みませんけど」といった感じで、彼女もろともばななごと嫌煙するようになりました。
2.もう読んでいられない
それから2年経ち、2013年(大1)。彼女とは、しょっちゅう会ったりまったく会わなかったりしながら過ごしていました。もう彼女はそこまでばななに陶酔しておらず、そもそも本の話すらしなくなっていました。そんな時に刊行されたのが『花のベッドでひるねして』でした。「ばなな、読んでやるぞ!」と意気込むような気持ちはなく、ふつうにジャケ買いをしました。
そして、読み始めて数ページ。あることに気がつきます。「めっちゃ読みにくい。話が全然入ってこない。」ということに。今までそれなりに読書をしてきて、難しくて何言ってるか分からないということは時々ありましたが、意味は分かるのになぜか全然内容がつかめないという感覚ははじめてでした。日を改めて再挑戦しても感想は同じです。無理してでも読み進めていれば、どこかで急に分かってきておもしろくなる?と思いましたが、びっくりすることに「もう読んでいられない」と思うほど苦痛になっていたのです。
わたしはばななが読めない側の人間でした。だって、読んでいられないんですもの。学校の教科書でさえつまらないながらにも一応は読んでいたのに、これはもう脳みそが拒絶しているのがはっきり分かります。ショックではありますが、世の中にはほかにもたくさん本があるので大丈夫です。わたしは、ばななのことを忘れて生きていくことになりました。
3.わたしはばななが分からない
さらに時は流れ2017年(社1)。わたしは、またばななを読んでいました。『デッドエンドの思い出』です。こうして再挑戦している理由は、ブックオフで100円だったのと短編集だから読めるかなと思ったからです、仕事帰りの京王線に揺られながら読んでいました。そう、読めるようにはなっていたんです。ただ、読みながら「早く読み終わらないかなぁ」と思っていました。
話は分かる、内容は掴めている。でも、なんか分からない。読んでいてずっとモヤモヤする感覚がありました。登場人物たちが理解できないのか、ストーリーにハマれていないのか。ですが、意地で読み切りました。短編集だったので、話のどれかは好きかもしれないと思ったのです。結果残ったのは「わたしはばなな作品を良いと思う感性がない」という確信でした。
4.『キッチン』との再会
2020年(社4)もうばななについて何も思っていませんでした。書店員としてたくさんの本に囲まれて働き、さらに切実さんとして活動を開始していたころです。切実さんの企画として、名著を読もうと思い立ちました。1冊目は、山田詠美『ぼくは勉強ができない』次にシェイクスピア『ハムレット』、そして『キッチン』でした。
もう、どうしたって読みたいらしいです。他人事みたいに言うのは、買うときに「読めるかな~」という葛藤がなかったからです。強烈に「ばななは合わない」と思ったはずなのに、どうしてまた出会ってしまうのでしょう。よりによって、かつての友人が勧めていた『キッチン』です。
しかし、春に買われた『キッチン』を読んだのは秋になってからのことでした。そう、結局手元に来てから急に億劫になってしまい、本棚にしまい込んではその存在感に気を病み、やはり読まずに手放そうかなどと葛藤しながら夏が過ぎ、フローリングの床がつま先を冷やす11月頃にやっとページを開いたのです。
そして、開いた瞬間に分かったのです。「読むなら今だ」と。あんなに拒絶していた文章が、理解させまいとふわふわと踊っているように思えたストーリーが、登場人物たちのすこし独特な心の機敏が突飛に思える行動が、急に全部理解できる感覚がありました。10年経って『キッチン』が大切な一冊になったのです。
そのままばななにハマったわけではなく、とにかく『キッチン』が良すぎるのでこの思いを大切にしたく2年が経ち、2022年の夏にやっと併録されていた『ムーンライト・シャドウ』と『白河夜船』今春に『アムリタ』を読みました。それでやっと気負わずにばななが好きだと思えるようになったので、今回この記事を書きました。今まで読んだばなな作品の感想は、次回の配信で書こうと思います。
みなさんの「ばななとの思い出」を聞かせていただけるとうれしいです!(記事で公開する可能性があります)
とても長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。また、来週の配信でお会いしましょう。以上、切実でした!
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